M&Sの少数派な暮らし

同性同士で暮らす、私たちの日常・非日常

出会いの掲示板 ~私はどうやって出会いの掲示板にたどりついたのか その3~

ここで私の性思考について述べておく

 

どれかのカテゴリーに組み込むとしたら

心身ともに、Aセク(アセクシャル)だと

自己判断している。感情的に舞い上がるとか

性的な欲求や興奮などがわき起こることない。

のんびりしたものだ。だから、知人たちは

傷ついたり疲れたりしたら、やってくる。

私はそれで充分恵まれていると感じている。

 

そんな私だから、結婚願望もないままだ。

周囲と自分とを比較して、焦ることもない。

多少の不便さや不安定さはあったけれど、

それを解消するために他人を巻き込む、

なんて選択肢はつくらないで過ごした。

 

結婚しない、出産も望まない。その先を考えた。

男性より長寿である「女性のおひとりさま」

女性同士で老後を送る、という生活モデル。

共に老いてくれる女性を探すことにしたのだ。

 

 

※おまけ※

男性の種族維持本能を、私はわからない。

「子どもはいらないから」と、私に結婚を

申し込んでくれる男性が幾人かいたけれど。

本能や体裁、親御さんの意向もあるはずだ。

いまは子はいらないと言っていても、、と

私は考え、すべての人に同じ返事をした。

「還暦を過ぎても同じ思いだったら、

 そのとき、また言ってみて」

そして、いまも未婚男性の茶飲み友達がいる。

本当に、会いに来てくれてお茶して別れる。

「また来るね」「ありがとう」と言って。

出会いの掲示板 ~私はどうやって出会いの掲示板にたどりついたのか その2~

さて、日ごろは手に取ることのない

美容系の雑誌をめくり始めた私、S。

 

ぱらぱらめくっては、ちょこちょこ読む

ぱらぱらめくっては、鮮やかな写真を見る

 

とある見開きの特集記事にたどりつく

そこにはいまでいうところのLのふたり

女性同士が手をつないで名駅を歩く写真

記事は、そのふたりのインタビュー記事

 

ビビビッときたとか、そういうのはなく

この記事も、さらっと流しました。

個人を特定しないように加工した写真が

穏やかで、ほんわりしていて、ふたりの

幸せそうな印象をつくり出していた記憶。

 

記事の最後には、連絡先が書かれていた

レズビアンを支援する団体の、連絡先が。

出会いの掲示板 ~私はどうやって出会いの掲示板にたどりついたのか その1~

いまや、「出会い系」という言葉は当たり前で

「マッチング」はビジネスも含め日常の言葉に。

 

でも。

私が成人 (←私たちの成人は20歳) するころはー、

といえば。スマホはまだなくて。パソコンも、

みんながみんな、ネットに繋いでいなかった。

 

そんな時代の情報収集は、といえば。

まあ、活字か口コミか、だったかと。

 

 

とある日。薬局に行った、私。

(生来、体が弱く薬が手放せないのです)

店主が品を準備する間にと、雑誌を出して

「これでも読んで待っててくれる?」と。

 

自分では選ぶことはないだろう美容系雑誌。

だからこそ、こういう機会に見てみよう、

そう思って、その雑誌を開いてみることに。

 

さて、この雑誌、

いったい何が書かれていたと思いますか??

今日は公園デビュー

随分と前から知っている公園があって、

町の人々が子どもと遊んだり、

テントをはってランチをしたり・・・

そんな様子を国道を走りながら見ていましたが、

本日、初めてその公園に入ってみました。

 

大好きな人を車いすに乗せて、本日も幸せ散歩です。

 

小さい子どもを遊ばせられるエリアを抜けて、

大人の為の遊具?ストレッチができるようなものや、

リハビリをするような・・・そんなエリアも抜けて、

フリスビーやキャッチボールをする家族やカップルを見ながら、

春には綺麗に咲くだろう、桜の道を抜けて、元の駐車場へ。

そこに、公園全体の地図看板があったので、立ち寄ってみました。

 

そこには、いま、私たちが散歩してきた800mほどの散歩道以外に、

約倍の1600mほどの周遊コースが書かれていたので、

大好きな彼女の顔色を確認し、大丈夫そうだったので散歩の続きを

楽しむことにしました。

 

公園の外・・サルスベリが植えられている道をゆっくりと進み、

隣接する大学や、病院を横目に見ながら、たわいもない話をしながら。

進んでいくと割と小さめの公園が出てきて、そこにはぶら下がる事が

できる遊具があり、ぶら下がってみた・・・。

改めて、自分の体の重さと腕の筋力の衰えを感じ・・・

また、ダイエットと筋力アップを目指すことを決意!

 

そこから、ゆっくりを帰り道を進み、駐車場に到着。

今週も楽しかった。桜の季節が待ち遠しいですな。

 

海の散歩も大好きですが、

いつも国道から見てた知らなかった公園の

全体像は、第二の散歩コースになりました。

お母さんの園芸

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私のお母さんではなく、彼女のお母さん。

お母さんは、お花が大好きで、色んな花を植えては私達に見せてくれる。

でも、彼女はあんまり興味がない・・・のと、かなり広い庭の隅々までの

確認に使う体力が足らない事から、お母さんのお花を見るのは、

専ら私の仕事になっている。

 

そんな私はというと、そんなにお花が大好きでもないし、

育てられないし・・・季節の桜や向日葵を楽しむ程度なのですが、

なんせ、彼女のお母さんなので、緊迫感を味わいながら説明を聞いている。

一生懸命説明してくれるお母さんはキラキラしていて、とても素敵なので、

苦痛などはなく、気に入っている時間です。

 

昨日、見せて貰ったは、一生懸命植えたチューリップの球根の側にあいた穴。

こ、これは・・・もぐら?

・・・もう、球根は食べられてしまっているかもしれない。

 

続いては、超寒い日だったのに、頑張ってキレイに咲いていたバラ。

なかなかの力強さに元気を貰った気がしました。

 

そして、全然関係ないですが。。。

御嶽海関、優勝おめでとうございます!

摂食障害2

私の摂食障害=食行動異常の推移は、

嘔吐 → 拒食 → 過食嘔吐、です。

 

始まりは、といえば。

食べ物も飲み物も体が受け付けなくなったこと。

食べても、飲んでも、胃に不快感を覚えて、

せりあがってきて、リバース(嘔吐)する。

 

これが数か月続きました。勿論、入院。

血液検査の結果がどんどん悪くなり、

担当医から「もう死んでいる数値だよ」と。

 

ここでオロオロしたり騒いだりしないのが私。

落ち着いたものでした。「へーーー」って。

その後も、他の病症で余命宣告をされても、

「ふうーーーん」って。鈍感力高し、ですよね。

親不孝者ですよね。特別さを感じませんでした。

 

食べても・飲んでも、体が受け付けない(嘔吐

だったら、食べないほうが心身が楽じゃないか。

食べたい・飲みたいと思うことがなくなった。

これが、拒食の始まりです。心の変化ですね。

 

血液成分がどんどん下がっていくと同時に

体力も気力もどんどんと下がっていくーー

 

ただ、このとき。私は受験生だったんです。

受験に負けるのは嫌。合格を手にしたい。

勉強も読書も、私にはとても楽しいこと。

入院食や給食を口に運んでみる、ということを

完全にはやめなかったんです。

 

今度は無理に食べるようになります。

過食嘔吐の始まり、かもしれません。

過食のきっかけは、よくわからないまま。

 

意志で、食べたいという心と体を止めようと

何度も試みてきましたが。止め(られ)ないまま。

摂食障害

摂食障害

① 食行動の異常の総称。

神経性食欲不振症、拒食・過食・異食など。

食行動異常。

②(略) 『大辞林』より

 

 

テレビ番組やYouTubeでは、「大食い」が

個人の特徴・特技として受け止められて。

 

他方で、幼いころから年老いるまで

体と心の健康のため「食育」が掲げられて。

 

私個人は、といえば。

自分の食行動に異変が起こってから 30年近く。

もう異常と正常の境はわからなくなっています。

そして。自分の体と心を満足させる量も、

(日々刻々と変わるようで)わからないのです。

 

皆、自分を満足させる分量を把握してるのかな。

栄養素ではなく。自分の心と体が満ちる分量。

 

食べることを我慢することのつらさと

食べなければいけないつらさと、

どちらのほうがよりつらい、ということはない。

これは入院・手術を何度かしてきた私の経験則。

 

食べても食べても満腹を感じないときもある。

食べたあとリバース(嘔吐)するときもある。

一日食べなくても、まあいいや……な日もある。

 

こんな自分を、「狂っている」と嫌な汗をかき

「どうなってしまうのだろう」と顔をゆがめ。

こんなでも、大人になって、老化が始まって。

成人して以降、血液検査はすべて正常値です。